2024/01/18 09:32

江戸の街のとある裕福な商家に一人の娘がおりました。承応3年(1653年)の正月、娘は家族と本郷丸山の本妙寺にお参りに行った帰り道、上野の山を通りかかったところで美しい少年に出くわし、一目ぼれしてしまいます。娘は寝ても覚めても少年のことが忘れられず、食事ものどを通りません。焦がれる想いを慰めるため、両親に頼んで少年が着ていた着物と同じ模様で振袖を仕立ててもらいますが、その甲斐なく娘は振袖を抱いたまま床に臥せてしまいました。病状は更に悪化し、翌年の承応4年(明暦元年)1月16日、はかなくも娘は17歳でその生涯を閉じてしまいます。不憫に思った両親はせめてもの供養にと、娘が愛した振袖を棺に掛けてやり、本妙寺で葬儀を執り行いました。

翌年の明暦2年1月16日、娘の一周忌のために本妙寺を訪れていた両親は、同日営まれていた葬儀に遭遇し驚きます。なんとその棺の上には、見覚えのある柄の振袖が掛かっているではありませんか。しかも亡くなったのは娘と同じ17歳の町娘。奇遇なことがあるものだと、その時は受け流しましたが、翌年の明暦3年1月16日に行った3回忌の法要でも同様のことが起こります。17歳を迎えて間もない町娘の棺が本妙寺に運び込まれ、その上には娘のために仕立てた、まさにあの振袖が掛けられていたのです。不審に思った両親が寺に確認すると、振袖は葬儀のたびに寺から古着屋に転売されており、それを買った娘が次々に謎の病にかかって命を落としていたことがわかりました。さすがにこれはいけないと思った住職は、明後日に振袖焼き捨ての儀を執り行うことにしました。

明暦3年1月18日の正午、やじ馬たちの見守る中、住職が経文を唱えながら火の中に振袖を投げ込むと、にわかに暗雲が立ち込め、北西から一陣の怪風が起こり、火のついた振袖が舞い上がると、本堂の軒先に燃え移りました。そしてその炎は次々と周囲に飛び火し、3日間に渡って燃え続け、江戸八百八町を焼き立てる大火事となったのでした。

この話を聞いて「八百屋お七」の悲恋物語を思い出された方もいらっしゃると思いますが、いわゆる「お七火事」と言われる「天和の大火」は「振袖火事」から26年後の天和2年12月28日(1683年1月25日)に起きた別の火災です。ただ、いずれの火事も恋心が招いたものであるところが興味深い共通点です。小さな種火が徐々に大きな炎となり、時として誰にも止められない激しい大火となって、やがては燃え尽きてしまう。そんな「火」の性質になぞらえて、「恋」が危険で儚い(はかない)ものとして描かれるのは、いつの世も変わらぬドラマ設定なのでしょう。「恋」も「火」も燃え過ぎは危険と言うことですね。炎が大きくなって手に負えなくなる前に、早めの消火が肝心かもしれません。

一説では、老中宅の失火をもみ消すため、本妙寺が優遇条件と引き換えに火元を引き受け、幕府がこのような純愛「ロマンス・ホラー」を仕立てて全国に流布したとも言われているようですが、真偽のほどはよくわかりません。恋愛ドラマの設定のみならず、為政者の失態を煙に巻く手法も、江戸時代からさほど変わっていないと言ったところでしょうか。




あいにく恋の炎は消せませんが
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