2024/02/28 18:15

明日は2月29日、閏日(うるうび)ですね。私は人生で何度もこの日を迎えてきたと思いますが、4年に一度やってくる調整日と言うだけで、1年の時間が増えたようなお得感を感じることもなく、ただなんとなく過ごしてきました。1年が365日(平年)よりも1日多い366日になるこの閏年、必ずしも4年に1度と言うわけではないと言うことをご存知でしょうか?

現在用いられているグレゴリオ暦(太陽歴)では、閏年を次のように決めています。

①西暦年が、4で割り切れる年は、閏年とする
 例:1996年、2004年、2008年、2012年、2016年、2020年、2024年

②「①」であっても、100で割り切れる年は平年とする
 例:1900年、2100年、2200年、2300年

③「②」であっても、400で割り切れる年は閏年とする
 例:1600年、2000年、2400年

こう見ると、24年前の「2000年」は4で割り切れるから「閏年」、でも100で割り切れるから「平年」、でも400で割り切れるから「閏年」と言った全規定コンプリートの珍しい年だったんですね。次に来るのが2400年なら、あの時もっとかみしめておけばよかったです。

ちなみに閏日を2月に入れる理由は、古代ローマにおいてグレゴリオ暦(太陽暦)のもととなったヌマ暦(太陰暦)が、太陽が真東から昇る「春分の日」が属する3月を1年の始まりと考えていて、年末に当たる2月に閏月(うるうづき)を入れていたその名残だそうです。

日本でも旧暦(太陰太陽暦)を使っていた明治の初め頃までは、およそ3年に1度のペースで閏月を加えて1年を13カ月に増やさなければなりませんでしたが、新暦(太陽暦)を採用してからは前述のルールでおよそ4年に1度のペースで閏日を1日加えてやるだけで済むようになりました。これにより、発生する誤差も400年でわずか0.12日(約3時間)。日本が旧暦を捨てて新暦を採用した理由も、当然この科学的な誤差の改善を目的とした日本の近代化の流れだと思っていました。しかしながら、どうも直接的な動機は別にあったようなのです。

新暦(グレゴリオ暦)が使用されるようになったのは明治6年1月1日からです。 この日は旧暦(天保暦)では、明治5年12月3日に当たります。つまり、明治5年の12月は1日と2日の2日間しかなかったのです。改暦は十分に検討もされず、正式に決定されてから1ヶ月足らずの慌ただしさで進められたため、多くの誤りや問題点を残していたようで、巷で既に年末に印刷されていた翌年用のカレンダーも全部台無しになってしまったそうです。

では、なぜそこまでして明治新政府は改暦を行ったのか?実は、そこには深刻な財政問題があったと言われています。当時使っていた旧暦では翌年の明治6年はちょうど閏年に当たり、閏月が入るため1年が13ヶ月あることになっていました。 既に役人の給与を年棒制から月給制に改めた後だったので、明治6年には13回給与を支払わなければなりません。これを新暦に切り替えるだけで、明治6年は12ヵ月分の支払いで済みます。更に、前述の通り旧暦の明治5年12月は2日だけになるので、 この月の月給を踏み倒してしまえば、明治5年分の給与も1ヵ月分減らすことができる。このわずか2ヶ月分の月給を帳消しにする目的で改暦を決行したと言うのです。「まさかそんな一時しのぎのようなことを」と思わなくも無いですが、それだけ苦しかったと言うことなのかもしれません。年俸制から月給制に変更した時の算出方法が気になるところではありますが、一般企業に与えた影響も大きかったのではないでしょうか。例え改暦が純粋に日本の近代化を目的としたものであったとしても、閏年になる前年の年末と言うタイミングと、法律の公布から1か月以内と言うスピードは外せない条件だったかもしれませんね。

<参考>