2024/04/18 13:44

昨夜17日午後11時14分ごろ、豊後水道の深さ39キロを震源とするマグニチュード6.6の地震が発生し、愛媛県南予と高知県西部で震度6弱の揺れを観測しました。ここ福岡県柳川市は震度3と言うことで被害はありませんでしたが、震度3とは思えないほどの大きな揺れでとても驚きました。揺れがおさまってからも、身体がフラフラして少し船酔いしたような気分が続きました。夜が明けて、現地の被害状況が少しずつ明らかになっているようですが、甚大な被害に至っていないことを祈ります。

愛媛県と高知県で震度6弱以上の揺れを観測したのは、現在の震度階級が導入された1996年以降初めてということですが、今後1週間ほどは最大震度6弱程度の地震が発生する恐れがあるそうなので、どうぞご注意ください。

それから、この地震が起きる2時間ほど前の午後9時ごろ、インドネシアにあるルアン火山(Agung Api Ruang)で 、噴煙が1万5000メートル以上に達するほどの大規模な噴火がありました。日本に津波が到達する恐れもありましたが、幸いにして被害は無かったようです。インドネシアの北スラウェシ州にあるルアン島(Plau Ruang)では16日から複数回の噴火が起きていて、およそ800人の島民がフェリーなどで近くの島に避難しているそうです。命にかかわるような犠牲者が出なければいいのですが。。。

実はこの二つの災害地、私にはとてもゆかりのある場所なんです。


私が学校を卒業して最初に就いた仕事は、真珠の養殖業でした。今回の地震の震源地から直線距離でおよそ15㎞、愛媛県は吉田町にある社員寮の四畳半の部屋に寝泊まりしながら、法華津湾で真珠養殖技術の修業を積みました。慣れない船の上で細かい作業をするので、海がしけると船酔いに苦しみましたが、不思議なものでいつの間にか何も感じなくなりました。毎日力仕事でへとへとなのにもかかわらず、仕事終わりは必ず鉄棒で懸垂し、ダメ押しにベンチプレスを上げてから共同風呂で汗を流しました。沖の休憩時間は暇なので、ロープに付いていたイガイを針の先に付けて糸を垂らすと、竿が無くてもタイが釣れました。それを食堂のおばちゃんに頼んで刺身にしてもらい、腹いっぱいになったら泥のように眠って、翌朝にはまた長靴と合羽で海に出ていく。そんな日々を半年ほど続けました。

その後、私はインドネシアで養殖場を立ち上げるために、スラウェシ島に赴任しました。スラウェシ島北端部の街 Manado(マナド)に近いPlau Talisei(タリセイ島)には第一養殖場が既にあって、そこで仲間たちが働いていましたが、今回噴火したルアン火山は目と鼻の先(北東約40㎞)にあります。今はその養殖場は閉鎖されているようですが、もし続いていたら間違いなく噴火の影響は免れなかったでしょう。

私のミッションは、第一工場から南西に直線距離でおよそ400㎞、スラウェシ島中部の、ペレン島近くの、Plau Banyak(たくさんの島々)と呼ばれている地帯にある、名もない小島(無人島)に第二養殖場を立ち上げることでしたので、ルアン島付近で過ごしたことはありませんが、スラウェシの人と景色が想像できるだけに心が痛みます。


今回、ほぼ時を同じくして自分の思い入れのある二つの「真珠の海」で災害が起きました。もちろん単なる偶然ですが、それだけ世界中で頻繁に災害が起きていることの証なのだと思います。災害は時と場所を選びません。いついかなる時であっても、自分自身や大切な人、縁のある場所が被災する可能性があります。自然災害の多い日本だからこそ、先人から学んだ知恵を活かし、災害が織り込み済みの生活、人生、街づくり、国づくりが必要なのではないでしょうか。人間同士で互いに傷つけあったり、破壊し合ったりしている場合ではありませんよね。