2024/11/05 18:18
田んぼの稲刈りも終わり、ここ福岡県もすっかり秋の景色です。朝晩はだいぶ冷え込むようになりましたが、日中はまだ半袖で過ごすことができます。一日の寒暖差が激しいこの季節、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
さて、今日11月5日は「津波防災の日」です。
170年前の安政元年11月5日(1854年12月24日)に発生した安政南海地震で、現在の和歌山県広川町を津波が襲った時、濱口梧陵(儀兵衛)が「稲むら」に火をつけて、村人を安全な場所に誘導したという実話にちなんでいるそうです。この実話をもとにして作られたのが「稲むらの火」という物語なのですが、みなさんはこのお話をご存知でしょうか?昭和12年からの10年間と、平成23年度以降の小学5年生用国語教科書に掲載されていたようですが、残念ながら私はこの物語を知りませんでした。

「稲むら」(稲叢)とは積み重ねられた稲の束のこと(ウィキペディアより)
原作はフカディオ・ハーン(小泉八雲)だそうで、明治29年(1896年)6月に発生した明治三陸地震による津波で多くの命が失われたというニュースを知ったハーンが、安政南海地震の際の梧陵の偉業をモデルに短編小説「A Living God」(生き神様)として発表しました。

濱口梧陵(ウィキペディアより)
村の高台に住む庄屋の五兵衛(儀兵衛のこと)が地震後の海の異常に気付き、津波が来ることを村人たちに伝えるために自ら田んぼの「稲むら」に火を放ち、村人たちを安全に避難させたと言うお話しですが、津波の防災啓発教材としてアジアの8か国に向けに、英語、タイ語、インドネシア語など9言語に翻訳されて配布されています。それぞれのお国柄が出ていて、挿絵を見ているだけでも面白いですね。

シンハラ語に翻訳されたスリランカ版「稲むらの火」
ちなみに、「tsunami」と言う言葉が世界中で通じるようになったのは1946年のアリューシャン地震で、ハワイに津波の大被害があった際、日系移民が「TSUNAMI」という言葉を多用したことでハワイでこの言葉が浸透し、1968年にアメリカの海洋学者が学術用語として使うことを提案したことがきっかけなのだそうですが、そもそも津波は日本だけで発生する現象ではありませんし、外国人には発音しにくい「つ(tsu)」と言う音で始まる言葉をわざわざチョイスするのもなんとなく違和感があります。
小泉八雲の「A Living God」の冒頭に「These awful sudden risings of the sea are called by the Japanese “tsunami.”(この恐ろしい突発的な海面上昇は、日本人から「津波」と呼ばれています。)」とありますので、やはり八雲の作品を通して、既に「tsunami」と言う言葉が世界中に伝わっていたと言う下地があったのでしょうね。
このように、「外来語」とは逆に、日本語から他の言語に取り入れられた語のことを、「外行語」と言いますが、江戸時代まで(~1868年)に、adzuki(小豆)、bonze(坊主)、hara-kiri(腹切り)、inro(印籠)、katana(刀)、kaki(柿)、kiri(桐)、koi(鯉)、matsu(松)、matsuri(祭り)、miso(味噌)、mousmee(娘)、sake(酒)、samurai(侍)、sen(銭)、shoyu(醤油)、tatami(畳)、urushi(漆)、yashiki(屋敷)、yukata(浴衣)といった語が西洋文献の中で既に見られるそうです。

クロード・モネ作『ラ・ジャポネーズ』(ウィキペディアより)
実は、八雲の「A Living God」のモデルとなった濱口梧陵(儀兵衛)は、かの有名なヤマサ醤油の7代目当主で、村人を救った当時は35歳。震災後の復興事業にも私財を投じて尽力し、4年の歳月をかけて作った堤防は、昭和21(1946)年の昭和南海地震による高さ4mの津波から村を救いました。村があった現在の広川町では、毎年11月5日に「津波祭り」が開催され、津波の犠牲者の霊を慰め、梧陵の偉業をしのんで、小中学生による堤防への土盛りや神事が行われているそうです。また、10月には「稲むらの火祭り」を開催し、小学生による「稲むらの火」の朗読や市民による松明行列を通して、津波防災を伝承しているそうなので、是非みなさんも足を運んでみてはいかがでしょうか。
