2024/01/18 09:04

正月、成人式、卒業式と、あでやかな振袖姿を目にすることが多い季節になりました。最近の着物や帯の柄は古典的なものばかりでなく、斬新でモダンなものもあり、見る人の目を楽しませてくれます。この日本古来の民族衣装を着るために数人がかりでメイクや着付けをしている苦労を考えると、なかなか気軽なものとは言えませんが、外国人観光客の目も釘付けにするこの芸術品を、日本人の宝としていつまでも大切に受け継いでいきたいものです。

ところで、みなさんは「振袖火事」をご存知でしょうか。初詣参拝客の長い袂(たもと)に引火して起きる恐ろしい事故のことではありません。「振袖火事」とは明暦3年1月18日(1657年3月2日)に起きた江戸城天守閣と市街のほとんどを焼きつくした「明暦の大火(めいれきのたいか)」のことです。

この火事は明和の大火、文化の大火に並ぶ江戸三大大火の一つで、江戸城本丸、ニノ丸、三ノ丸をはじめ武家邸500余、寺社300余、倉庫9,000余、橋梁61を焼失し、死者10万余人を出した江戸時代最大の火災でした。また、関東大震災、東京大空襲などの戦禍や震災を除くと日本史上最大の火災で、ローマ大火、ロンドン大火、明暦の大火を合わせて世界三大大火と呼ばれることもあるほどです。

この前代未聞の大火災によって、大名火消程度では大火を防ぎきれないことを痛感した幕府は、大火の翌年、4人の旗本に火消屋敷(消防署)と火消卒(消防隊員)を抱えるための役料300人扶持(およそ5,400万円)を支給して、専門の定火消(じょうびけし)と言う消防組織をつくりました。本ブログの「江戸の頼もしい男たち」でご紹介したイケてる消防士「臥煙(がえん)」は、この時に生まれました。ちなみに、明暦の大火後の復興作業に苦しんでいた江戸の人々に大きな希望と信頼を与えるため、 明暦5年1月4日、老中稲葉正則に率いられた定火消四組が上野東照宮に集結し気勢を上げたものが「出初(でぞめ)」と呼ばれ、次第に儀式化されて受け継がれ、今もなお正月を彩る風物詩となっています。

それでは、江戸の街を襲った恐ろしい大火災「明暦の大火」はなぜ「振袖火事」などと言う風流な呼び名をもつのでしょうか。理由はその出火原因にあります。「明暦の大火」の出火原因には、幕府が都市開発のため自ら放火したとする説や、老中の屋敷が火元であったのを幕府の威信失墜を恐れて隣接する本妙寺に責任を転嫁したとする説などの陰謀論がありますが、その他に「ロマンス・ホラー」とも言える不思議な言い伝えがあり、それが「振袖火事」と呼ばれる所以となったのです。そのオカルト的な伝承は次のようなものでした。(つづく)